SPECIAL TALK

「レッツ・ゲット・ロスト4kレストア」
柳樂光隆さん(音楽評論家)×森直人さん(映画評論家)公開記念トーク
11/23(日)角川シネマ有楽町にて収録
柳樂:チェット・ベイカーの音楽は家でゆったりなごみたいときに聴くような心地良い音楽というイメージだと思うんですけど、チェットは人としてはとにかくひどい人だなと(笑)。
森:はい(笑)。2006年に音楽ジャーナリストのジェイムズ・ギャビンが書いた『終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて』(河出書房新社)というぶ厚い本が出たんですけど、それを読んだ時、僕、チェット・ベイカーのハードコアなクズ人間ぶりに本気でドン引きしましたからね。この映画『レッツ・ゲット・ロスト』に関しては、僕は1971年生まれなんですけれども、だから80年代後半というのは高校生なんですね。その時、ファッション誌やカルチャー誌を読むとブルース・ウェーバーという名前はすごく大きかったんです。当時のインフルエンサー的な方々が、いまいちばんイケてるフォトグラファーとして挙げていることが多かった。特にブルース・ウェーバーといえばフォトTシャツ。『レッツ・ゲット・ロスト』のTシャツもアニエスベーから出てましたね。『ブルーに生まれついて』という映画でチェットを演じたイーサン・ホークは1970年生まれなんですが、彼もやはり入口はブルース・ウェーバーの方で、映画『レッツ・ゲット・ロスト』に感激してからチェット・ベイカーにのめり込んでいったらしいです。そのへん、結構世代で印象が変わってくるのかなと思うんですけれども、柳樂さんはどういった流れでチェット・ベイカーを聴くようになられたんですか?
柳樂:僕の場合は1979年生まれで、大学に入ったのが1998年。90年代の終わりから2000年代頭ぐらいにカフェブームというのがありまして、カフェミュージックと呼ばれるコンピレーションのCDがたくさん出ていました。例えば、渋谷カフェ・アプレミディのBGMを想定して、橋本徹さんが作っていたコンピレーションのシリーズにもチェット・ベイカーの曲はよく入っていました。今でも橋本さんが選曲している有線のカフェチャンネルでもよく流れています。僕はカフェミュージックが好きだったのでそこも大きかったですね。
森:なるほど。日本でいうと渋谷系末期みたいな時期に、レア・グルーヴの流れですごく人気があって。そこからどんどんのめり込んでいって、チェット・ベイカーの印象というのは変わっていかれた感じですか。
柳樂:そうですね。最初は「チェット・ベイカー・シングス」とかをやっぱり買うわけです。その後はウエスト・コーストでトランペット演奏していたような時期に行って、より深い所へって感じでヨーロッパに渡ってからかなりアルバムを出していたので、その辺りも買いました。晩年にイタリアで録音したものとかも買いましたね。だんだんいろんな音楽を聴くようになってからは、チェット・ベイカーの影響を受けたジャズ以外のアーティストもいるということがわかってきて。その中でエルヴィス・コステロもそうだって知ったり。そんな感じでチェット・ベイカー絡みのものはいろいろ買いましたね。
森:今回の映画でもチェットが歌うコステロの「オールモスト・ブルー」が最後に聴けますね。今の若い方々にも、チェット・ベイカー人気は高いんですか?
柳樂:そうですね。実は今20代から30代の若いアーティストで、特にアメリカ、イギリスのアーティストが多いんですけど、チェット・ベイカーのファンっていうのはかなりいます。
ちょうど去年「チェット・ベイカー・リイマジンド」っていう編集盤が出ました。参加してるのは今ストリーミングで聴かれているような若いアーティストたちです。そのきっかけになったのがレイヴェイ(Laufey)っていう、中国とアイスランドにルーツを持つボーカリストです。アメリカでライブをやるとハリウッドボウルを満員にする若者のカリスマ的な存在なんですが、そのレイヴェイが「Just Like Chet」という、チェット・ベイカーに捧げた曲を書いています。他にも彼女のフェイバリット・ソングリストみたいなプレイリストにチェット・ベイカーが入っていたこともありました。そんな経緯で若い20代のレイヴェイ・ファンが、チェット・ベイカーを聴くようになって。結構20代のアーティストにインタビューをすると、チェット・ベイカー好きですみたいな人もいるし、「なんでみんなチェット・ベイカーの名前を出すんですかね?」て聞くと、「レイヴェイの影響じゃないですか」とみんな言いますね。
森:なるほど、例えば日本だと昭和カルチャーを広めるZ世代の阪田マリンさんとかがいらっしゃいますけど、レイヴェイのようなレトロ文化を今日的に蘇らせる強力なインフルエンサーがひとり居ると、状況はずいぶん変わってくるということですね。もともと昔のジャズの方々って本当に破天荒な方が多いですけれども、その中でもチェットはやっぱり、いろんな意味で特異点という気がします。ジェームス・ディーンと同世代ですけれども、最初はアイドル的な扱いだったというところもこの映画で描かれていたりしますもんね。
柳樂:そうですね。イーサン・ホークの『ブルーに生まれついて』もそういう話だったと思いますが、ビジュアルが良すぎて、アイドル的な感じでファンが多いことから他のミュージシャンや業界人からのやっかみもあったり、実際は彼の被害妄想もあったと思うけど、そういういろいろなものがあって、だんだん心のバランスが崩れてきたというのがありますよね。
森:結構人気投票とかではずっとトップを続けていたのに、なかなか専門家からは賛否というか割と非が多かったりとか、そういうタイプでもあったわけですよね。
柳樂:ダウンビートというジャズの世界で最も権威のある雑誌があるんですけれども、
そこは読者投票(リーダーズ・ポール)と批評家投票を両方やるんです。いまでもそうなんですけど、読者と評論家では順位が全く違うんですよね。
森:読者人気と批評家評価がカウンター的に対立する構図。これは「あるある」ですね(笑)。あと本作の監督のブルース・ウェバーは、1950年代とかの古き良きアメリカの美学を80年代の広告写真とかにかなり耽美的な形で復活させたっていうのがあるんですけど、チェット・ベイカーに関しては、もともとすごくアメリカ的なはずなのに、その異端ぶりがなぜかヨーロッパや日本の客層向けになっているというねじれが面白いなと思うんですよね。特に年齢を重ねてからのチェットが漂わせる異端的で耽美的な倒錯美みたいなのは、もはやあんまりアメリカ的ではない。相性が良さそうなのは、やっぱりヨーロッパなのかなという気がしますね。
柳樂:チェット・ベイカーに捧げた曲を集めると、ほとんどヨーロッパなんです。その中でもフランスが多いんですよ。フランスはもともとジャズに関しては保守的な国なんですね。ボリス・ヴィアンもビバップが嫌いで、スウィングだけが本物だと言っていたみたいな例もありますが、古き良きオーセンティックみたいなものが好きなんですね。だから、50年代のチェットをずっと愛してるみたいなところがあります。あと、チェットはイタリアに一時期住んでいて、チェットやウエスト・コースト・ジャズに影響を受けたハードバップの作品がイタリアにはすごく多いんです。その影響をずっと大事にしているのがイタリアのジャズミュージシャンです。イタリアやフランスの映画って、美しい街や美しい人を美しく撮るような映画が多いじゃないですか。チェットはそういう美意識にはまるだろうなって気がしますね。
森:亡くなった時もオランダのアムステルダムでしたしね。チェットは日本にも来日しましたよね。
柳樂:そうですね。エルヴィス・コステロが、「オール・モスト・ブルー」というチェット・ベイカーをイメージした曲を作っていますけれども、あれってチェット・ベイカーも歌っているんですよね。たしか。それって日本で録られたライブ録音が残っていて、結構晩年の日本のライブ録音は貴重だったんですよ。日本人はすごく欧米のアーティストに対してリスペクトがあるし、きちっと接するので、それなりでいい状態でライブができたんじゃないかなと思います。
森:評伝『終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて』を読むとやっぱり大変は大変だったらしいですけどね(笑)。この本は『レッツ・ゲット・ロスト』の詳細なメイキング=舞台裏も含まれている内容なんですけども、最晩年のチェットのドキュメンタリーじゃないですか、この映画って。だから美しく映ってはいるけれども、本当はもう体ボッロボロの状態で、まともに座っていられないぐらいの時もあった。体に膿ができてたりというようなところを、ブルース・ウェバーのマジックでこんなに美しく撮っちゃったという。その意味では本当に”演出だらけのポートレート”なんですね。ただ何かこの“フィクションを生きる”というところに、またこのチェット・ベイカーが似合うな、ハマるなという感じがします。映画には元カノがたくさん出てきて、中にはさんざんたかられて、結構貢いだのに全然カネを返してもらえない人もいるわけじゃないですか。あとお子さんたちも映画に出てくる。カメラが回っていない時はチェットのことをボロクソに言ってたらしいけど(笑)。やはりそこを編集して、あくまで美しく、ある種の神話としてまとめ上げている。人間としてはクソ。でも、とにかく歌い出したらあれだけ甘くてロマンティックな歌声なので、そこでみんなやられちゃうという…今だとあっという間に本人の振る舞いで炎上してしまう。社会的にもね、いまはなかなか許容しにくいアーティスト像なのかなと思うんですけれども、そういう意味では現在、テキストに当たる音源だけが多様な受容のされ方を生んで、一人歩き的に広がっているというのは興味深い現象だなと思います。
柳樂:チェットはそこが面白いんですよね。本人の実像とはズレているかもしれない解釈だけがどんどん独り歩きしている。あと、『レッツ・ゲット・ロスト』はこの時代に作られた映画ならではの作り方だなと感じました。2010年代以降のジャズ系のドキュメンタリーって、そのアーティストのひどかった部分をいかにうまく入れるかに変わってきているんですよね。例えばマイルス・デイヴィスの映画でも時代によって作りが変わっています。2019年に公開された『マイルス・デイヴィス クールの誕生』ではDVのことも含めて、マイルスがいかに悪かったかをかなり入れてあります。あとは、これは遺族のパワーバランスもあるんですけど、その時々の妻がどれだけマイルスに影響を与えていたかといったパートナーの貢献の話もかなり入っています。でも、そうなると、ある種のカリスマ性みたいなものが削がれたりもするわけじゃないですか。カリスマから人間に寄ってくるといいますか。
森:それはおっしゃる通りですね。確かに言われて今、目から鱗でしたけど、例えばロックミュージシャンでも、21世紀のドキュメンタリー映画からは神話解体的な方向、人間宣言の方に向かっていって、いいことも悪いこともあるよみたいな方に行っています。対して『レッツ・ゲット・ロスト』は、1988年という時代、しかも少年の心でチェットを崇拝しているブルース・ウェーバーから見た、チェット・ベイカーというところに徹しているので、今なかなかこういうのを作られないものになっているということですよね。
柳樂:それに今だったら、音楽的なコーディネーターが入ってくると思うんです。「トランペッターがあの音色を吹くためにはどんな技術が必要なのか」とか「彼のフレージングが実はこういうところからの影響がある」とか、そういう話が絶対入ってくると思います。2015年の『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』に顕著です。でも、『レッツ・ゲット・ロスと』は酷いところもあるけど、それも含めて魅力のあった「いい男」という文脈にフォーカスして作っています。ライブ映像はかなり出てくるのに音楽的な話は全然出てこないんですよね。
森:まさに、音楽的な視点や分析って皆無ですよね、この映画。そこもちょっと特異点かもしれないですよね。ドキュメンタリーとしても。
柳樂:すごく作り方が変わっているので、今のドキュメンタリーの流れと比べると、逆に面白く見られるのもあると思います。
森:本当にポートレートとして、スタイリッシュなモノクローム映像で“美しい男”を撮る。美しいと言っても崩れた美しさで、顔には修羅の傷痕のように皺が深く刻まれている。“男の顔は履歴書”的な視座でチェット・ベイカーというアイコンを捉えていった映画ですね。だからブルース・ウェバーは撮影時、40歳ぐらいですが、新鋭というポジションから時代の寵児的な巨匠に昇りつめてきた頃と、チェットの最晩年が奇跡的な完全にクロスして、再現不可能な1本に仕上がっているかもしれないですね。
柳樂:この映画のサントラのような感じで、編集盤『Swimming by Moonlight (New Music from the Documentary "Let's Get Lost")』がレコードでも出ていますけれども、その選曲を見ても、この映画の空気感や美意識に沿った曲が選ばれていて、所謂有名曲を並べたベスト盤じゃないんですよね。そういう部分も含めて、ブルース・ウェバーの作品だからこその切り取り方なんだなと思います。
チェットについて少し開設すると、彼がジャズの進化みたいなものに役割を果たしたかというと、全然そうじゃないと思います。勿論ウエストコースト・ジャズという文脈で彼は重要なんだけれども、ウェストコースト・ジャズを解説するときに、チェット・ベイカーを語らなくても成立するんですよ。一方で、「イケメンのトランペッターが甘い声で歌う」スタイルに関しては、チェット以降たくさん出てきています。
森:なるほど、トランペットを吹いている人の中で、お前顔もいいし、声もいいし、ちょっと歌ってみるか、みたいな(笑)。それこそ露骨にアイドル的な扱いとして、チェット・ベイカーという売れるロールモデルが実際一時期あったということですね。
柳樂:そうだと思います。ジャズって男性的でマッチョなイメージが強い音楽なんですけど、ジャズボーカリストに限るとほとんど女性なんですよね。チェットがいなかったら、トランペット奏者の男性がメランコリックな歌ものをやって、甘いバラードの素材になるみたいな事はなかったと思うので、彼が切り開いたものはあると思います
森:彼が無意識に切り開いた、あるいは偶然作り出してしまった市場みたいなものがいまだにあるというのは面白いですね。やっぱりそもそもトランペッターが歌ってみたということ自体があんまりないパターンでもありますし。
柳樂:チェットは、すごく声が出るわけではないし、スキャットが上手いわけでもない。でも、とにかく人を魅了する声なんですよね。彼のボーカルスタイルはボサノバとの親和性が高いんですよね。アンニュイにささやくような感じ。声そのものの良さをそのまま出しちゃうみたいなものなので、素人歌唱に近いようなスタイルはあるわけです。でも、ここまで中性的で、なんなら弱々しさみたいなものも出てるのは珍しいと思いますね。アメリカってマッチョな国なので、アメリカ的でもないのも特殊ですよね。。
森:だから偶然、本人の資質からいろいろなものが生まれたという事ですかね。母性本能をくすぐるみたいな感じですとか。今は清廉な人物と立派な表現の一致が求められる時代になっていると思っていて、結構僕とかの世代感じでいうと、このクソ人間が、でも表現やらすともう言葉を失うくらいすごいんだよな、みたいな、ここの矛盾やねじれというところに何か表現の秘密があるというような考え方もしてきたので、それを久々に1988年製作の光と影の両方あるドキュメンタリー作品の中に見せてもらったなという気がします。
柳樂:この作品の中でチェットはかなりしゃべっているけど、別にいいことは一つも言ってないんですよね。名言とかないわけですよ(笑)でも、発言は全部印象的だったりする。やっぱりそれは彼の「人間力」なんじゃないんですかね。